三浦敬三さんご逝去
三浦敬三さんがお亡くなりになりました。
2005年1月5日 101歳でした。
直接お会いしたことはないのですが私の中ではとても大きな存在でした。
目標なんておこがましいです。
憧れでした。
100歳を超えてもスキーヤー!
生きていることだけでもすごいのに、現役でスキーをしているのです。
ものすごいことです。
昨年は百歳記念に親子四代でスキーをされているニュースを拝見して、すごいなあ、自分にはとても真似出来ないなあ、と感心するばかりでした。
ずっとずっとお元気でいるような気がしていました。
畏れ多いことですが、私がどうしても八甲田でスキーをしたかったのは、少しでも三浦敬三さんの原点に近づき、八甲田のすばらしさを実際に感じてみたかったからです。
昨年初めて八甲田にスキーに行った際、八甲田ロープウェー乗り場に飾られていた、三浦敬三さん撮影の八甲田の自然の数々の写真が強く印象に残っています。
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また、私がテレマークスキーやスノーボードをやらないのも、最後までアルペンスキー、山スキーにこだわった御姿に憧れていたからなのかもしれません。
スキー板のメーカーももちろんずっとK2です。
何歳まで出来るかわかりませんが、私の目標も「生涯現役スキーヤー」と定めました。
101歳ですから世間的には大往生です。
でも、御本人はまだまだ滑りたかったに違いありません。
訃報に触れ、悔しくて、悲しくて、残念でなりません。
もう一度、スキー板を履いている姿を拝見したかったです。
私は今年も時間を作って八甲田に行きます。
きっとどこかで、私を含めた八甲田を滑る多くのスキーヤーを見守っていて下さると信じています。
それでは
安らかにお眠り下さい。
合掌
以下、「MIURA DOLPHINS」トップページに掲載された訃報より、三浦雄一郎氏のコメントです。
「父 敬三は、101歳の4月までスキーを心のそこから楽しんでおりました。これは人間の年齢の限界を超えて雪山を楽しむ、素晴らしい 100年の夢であり、僕自身や家族だけでなく、多くの人々の憧れ、そして目標でありました。しかし大変残念なことに頚椎の骨折をしてしまいました。担当していただいた先生方に現代医学の最高技術の治療と手厚い看護を受けて、また、本人の治って再びスキーをするという情熱、努力、意志の強さで奇跡的な回復をみたものの、脳梗塞を患いそして肺炎になってしまいました。家族や数多くの知人友人たちの激励に応えてきたのですが、やはりどんな人間にも寿命と限界はありました。もう一度雪の上に立って欲しい、110歳までともに滑りたいという願いは叶わず、1月5日、帰らぬ人となってしまいました。ケガの直後やその後の経緯のなかで、何ヶ月も前に諦めていたかもしれなかった父でありますが、本人のスキーに対する一途な思い、そして昼夜問わずに手厚い看護をしてくださった先生方や看護婦の皆様、応援してくれた皆様のおかげでここまで頑張ってくることができました。本当にありがとうございます。 父の意志を繋いで、これからも皆様とともに100年の夢のシュプールを描くことができれば何よりの供養かと存じます。」
1月5日 6:00 am カナダ ウィッスラーより。 三浦雄一郎
TBありがとうございます。
本当に残念でした。
記事を拝読させていただき、まったく同感でした。
何時の日か、ご一緒に滑走できればと夢にみていたぐらいです。
私も、何歳まで生きれるかはわかりませんが、生涯スキーを続けたいと思っています。
スキーつながり、敬三氏つながりということで、今後もよろしくお願いします。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: 「感動創造」 | 2006-01-06 20:14
TBを有難うございました。
私も、残念に思っている一人です。
ご冥福をお祈りします。
いろいろと情報を頂き感謝しています。
これからもよろしくお願いします。
hbrit
投稿: hbrit | 2006-01-10 20:02